​【1984年】National MSX CF-3000の思い出。秋葉原の熱気と『オホーツクに消ゆ』に震えたあの頃

デジタルライフ

​こんにちは!現在はフードデリバリーの配達員として、自転車で毎日のように街を駆け回っている筆者です。

​私のこれまでのキャリアは、GMSの婦人雑貨売り場から始まり、家電量販店の店員、ビジネスホテルのスタッフといったリアルな現場の正社員を経験してきました。その後はブックオフせどり、ebay輸出入、Amazonマーケットプレイスといった物販ビジネスの世界に身を置き、さらには◯◯システム・サービスという、競争とは無縁の「完全なる独占事業」の裏側でも1年間働いたことがあります。

​GMS、家電、ホテル、ネット物販、そして独占企業のシステムから、現在のギグワークまで――。

​本当にさまざまな「現場」と「ITシステム」を渡り歩いてきた私ですが、そんな私のデジタル・ガジェット愛、そしてシステムへのリテラシーの原点とも言えるのが、少年時代に出会った1台のマイコン(パソコン)でした。

​今回は、1984年の秋葉原の空気感とともに、私が初めて手にした愛機**「National MSX CF-3000(キングコング)」**の思い出を、感情たっぷりに振り返ってみたいと思います。

​1984年、中森明菜のメロディと、親父の車で行った秋葉原

​あれは確か、1984年のこと。

愛読していた『MSXマガジン』のページをめくりながら、まだ見ぬマイコンへの期待に胸を膨らませていた私は、親父の運転する車に揺られて秋葉原へと向かっていました。

​街のあちこちから流れていたのは、中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』。あのエッジの効いた歌謡曲のメロディは、どこか当時のパソコンブームのスピード感や、近未来へのワクワク感とシンクロしていた気がします。

​目的はただ一つ、ゲームがしたくてたまらなかったから。

​秋葉原の老舗家電量販店「オノデン」に滑り込み、ついに手に入れたのが、National(現パナソニック)から発売されていたMSX1端末**「CF-3000」、通称キングコング**でした。

​後に私自身が店員として家電を売る側に立つことになるのですが、この時のオノデンの店員さんのキビキビした動きや、熱気あふれる売り場の空気は、子供心に強烈な憧れとして焼き付いています。

【CF-3000(キングコング)とは?】

カートリッジスロットを2つ備え、キーボードと本体が分かれたセパレート型の高級感あるデザインが特徴。Nationalが本気でホビーPC市場に投入した名機です。

​データを保存するための「データレコーダー(カセットテープレコーダー)」も一緒に購入してもらい、ホクホク顔で帰路へ。首都高速を通り、池袋を経由して帰ってきたあの日のきらめく夜景を、今でも鮮明に覚えています。

​ソニーのHIT端子と、BASICプログラムとの格闘

​家に帰るやいなや、自室にあったソニーの古いテレビの「HIT端子(RGB入力端子)」に、ピカピカのCF-3000を接続。画面に「MSX BASIC」の文字が立ち上がった瞬間、私の部屋は一気に最先端の秘密基地になりました。

​当時は、インターネットなんてありません。

本屋に行っては、ゲームの「プログラム(ソースコード)」がびっしり印刷された雑誌や書籍を買い、1行1行、指差し確認しながらキーボードを叩く日々。

​**「Syntax error(構文エラー)」**の文字に泣かされ、どこが間違っているのか目を皿のようにして探し回る……。

​今思えば、あの地道なデバッグ作業こそが、後に◯◯システム・サービスで巨大な市場のシステム運用に関わった際にもパニックにならなかった、私の「ITの基礎体力」を養ってくれたのだと思います。

​コナミの『スカイジャガー』など、友達から借りてきたカセットテープのゲームをロードする「ピーーーー・ヒョロヒョロ」という音をじっと待つ時間すら、愛おしい娯楽でした。

​ハードの進化は容赦ない。MSX2の登場と少しの悔しさ

​しかし、当時のハードウェアの進化スピードは、現在のスマホの比ではないほど容赦のないものでした。

​CF-3000を手に入れてわずか数ヶ月が経った頃、仲の良かった友人が「MSX2を買った」と言い出したのです。

​グラフィックもサウンドも劇的に進化した「MSX2」の画面を突きつけられた時、純粋にゲームを楽しみたかった私は、言葉にできない猛烈な悔しさを覚えました。新機種が次々と発売され、昨日までの最新鋭があっという間に過去のものになっていく。

​後に私がブックオフせどりやebay、Amazonマーケットプレイスでの物販にのめり込んだ際、商品の市場価値やトレンドの移り変わりの早さに対応できたのは、この少年時代に味わった「ハード進化のスピード感への洗礼」があったからかもしれません。

​しょぼいグラフィックの向こうに観た映画。『オホーツクに消ゆ』の感動

​そんなMSX1(CF-3000)での最大の思い出といえば、やはりアスキーから発売されたアドベンチャーゲームの金字塔、**『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』**です。

​現在の美麗な3Dゲームに比べれば、当時のMSX1のグラフィックは、お世辞にもリアルとは言えない、ドットの荒い「しょぼい」ものでした。色数も限られている。

​しかし、堀井雄二氏が描く重厚なサスペンスストーリーと、緊迫感のあるBGM、そしてプレイヤー側の想像力が、その黎明期のグラフィックを補って余りあるほどのリアルな世界観を作り出していました。

​幾多の謎を解き明かし、網走の海を背景に、ついに迎えたエンディング。

テレビ画面を見つめたまま、私はまるで一本の名作映画を観終えたかのような、言葉にできない深い感動に包まれていました。

最近は任天堂 switchで去年、新製品が発売されたみたいですね。

Amazon.co.jp: 北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~ -Switch 【特典】ファミコン版「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」(ソフトにインストール済) 同梱 : ゲーム
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​それは、限られたスペック(制約)の中で、いかに最高の顧客体験(感動)を生み出すかという、クリエイターの執念を受け取った瞬間でした。この時の感動は、後にGMSでの接客や、ビジホでお客様に快適な空間を提供する仕事の本質にも、どこか通じるものがあったと感じています。

​まとめ:あの日の秋葉原、あの日のCF-3000が私を作った

​複数の企業で「人」と「モノ」に実直に向き合い、ネット物販で世界と繋がり、◯◯の巨大システムを支え、今はフードデリバリーとして「街のリアルな物流」を肌で感じている。

​私のこれまでのキャリアは一見バラバラに見えるかもしれませんが、そのすべての原点は、1984年、親父の車に乗って秋葉原で買った「CF-3000」にあります。

​不便だからこそ無限の可能性を感じ、ハードの限界にワクワクしていたマイコン少年としての記憶は、どんなに時代が変わっても、今も私の中で色褪せることなく生き続けています。

​あなたにとっての「最初の1台」、そして「人生を変えたゲーム」は何ですか?

(読者の皆様へ)

当ブログでは、他にも懐かしのレトロPCやデジタルガジェットの歴史、様々な現場で働いてきた筆者の日常について発信しています。共感していただけたら、ぜひコメントやシェアをお願いします!

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