はじめに:池袋ビックカメラで出会った「未来」
1998年、池袋のビックカメラで出会った一台の小さなマシンが、私の中の「未来」を一気に引き寄せた。臨時収入で手にした10万円を握りしめ、特に目的もなく店内を歩いていたはずなのに、その瞬間だけは磁石に吸い寄せられるようだった。 ショーケースの中で異様な存在感を放っていた、ソニーのVAIO C1。モバイルコンピューティングなんて言葉も馴染みがなかったし、外に持ち出して何をするかも考えていなかった。それでも「これは買わなければいけない」と直感的に確信したのを、今でもはっきり覚えている。
だが、現実はシビアだった。当時の実売価格は約12万5000円前後。手元の10万円では、消費税分を含めると明らかに足りない。それでも諦めるという選択肢はなかった。外付けのCD-ROMドライブも、ネットに繋ぐためのPHS通信カードも諦め、本体を手に入れることだけに全力を注いだ。あのときの執念にも似た欲求は、単なる買い物ではなく、未知の体験への投資だったのだ。
デザインと所有欲:マグネシウム合金と「Motion Eye」
このマシンの魅力は、スペック以上に「所有する喜び」に集約されていた。マグネシウム合金のボディは、掌に乗せると冷たく、それでいて確かな剛性感がある。あのバイオレットカラーが放つ妖艶な存在感は、ビジネス向けのノートPCとは一線を画していた。 8.9型のウルトラワイド液晶(1024×480)は、当時のWeb閲覧には正直不便極まりなかった。縦の解像度が足りず、常にスクロールバーと格闘する日々。しかし、その歪なまでの横長画面こそがC1のアイデンティティであり、むしろ「特別な道具を使っている」という誇らしささえ感じさせた。
そして何より象徴的だったのが、液晶上部に鎮座する「Motion Eye」だ。カメラユニットがカチカチと回転する様は、まるでSF映画の小道具のようで、レンズ越しに自分の顔が液晶に映し出された瞬間、魔法にかかったような衝撃を受けた。たとえ35万画素という、今となってはトイカメラ以下の解像度だったとしても、あの時代の私にとっては世界を切り取る「窓」だった。

「使いにくさ」さえ愛おしい、未完成の操作感
もちろん、実用機としての使い勝手は決して良くなかった。むしろ不便の塊だったと言ってもいい。 友人に見せびらかそうとカフェで広げても、スティック型のポインティングデバイスは思うように動かず、キーボード下のクリックボタンも独特すぎて、肝心の写真一枚撮るのにも覚束ない操作を繰り返した。
それでも、その「扱いにくさ」すら愛おしかった。リチウムイオンバッテリーの着脱さえ、今の薄型PCにはない重厚なメカニカルさがあり、カチッとはまる感触に妙な満足感を覚えたものだ。当時はUSB規格もようやく普及し始めた黎明期。周辺機器を繋ぐのにも一苦労だったが、その試行錯誤こそが「マシンを飼い慣らしている」という実感に繋がっていた。
2010年以前のデータ消失と、唯一の「記憶」
あの頃、職場で同僚やアルバイト仲間と撮ったツーショットの写真がある。いや、正確には「あった」。 残念ながら、そのデータはもうこの世に存在しない。メモリースティック、DV端子、まだ整理されていなかった保存形式……2010年以前のデジタル環境は、あまりにも脆弱だった。気がつけばデータは読み込めなくなり、あるいは管理できないまま消失していった。
結局、手元に残ったのはプリクラやプリント写真、アナログのビデオテープといった「物理的なもの」ばかりだ。しかし、不思議なことにデータそのものは失われても、レンズを見つめた同僚の笑顔や、狭い液晶を覗き込んだときの空気感は鮮明に覚えている。形に残らないからこそ、記憶の中に強く、美しく焼き付いているのかもしれない。
十数年後の再会:Windows 98の起動音とeBay
それから十数年後、私は再びこのマシンと再会することになる。ネットオークションで見かけたあの紫色の筐体に、抗いがたい懐かしさを感じて落札したのだ。 届いた機体に電源を入れると、スピーカーからあの「ジャジャーン」というWindows 98の起動音が流れた。その瞬間、池袋の雑踏や、若かった自分自身の感覚が一気に呼び戻された。 いざ現物に触れると、液晶の劣化や動作の重さに「思い出補正」を感じずにはいられなかったが、それでも所有する喜びは当時のままだった。
しばらくその余韻に浸った後、私はこの個体をeBayを通じて海外のレトロPC愛好家へと送り出した。意外にも良い値段で買い手がつき、日本の名機は海を渡っていった。少しの寂しさはあったが、かつて私が感じたあの「未来」を、今度は世界のどこかで誰かが楽しんでくれる。そう思うと、この「相棒」との別れも悪くないと思えた。
やりたいことが見つかる前の、輝き
今のスマートフォンやUMPC(超小型PC)を見ていると、「いつでもどこでも」という思想は空気のように当たり前になった。しかし、その原点には、かつてソニーが提示したC1のような「尖った挑戦」があったことを忘れたくない。
振り返れば、このPCで何か大きな利益を得たわけでも、仕事で大活躍させたわけでもない。ただ、やりたいことがまだ見つかっていなかった時期に、このマシンは確かに私の背中を押してくれた。触れるだけでワクワクし、インドアな自分を少しだけ外の世界へ向かわせてくれた。
便利ではなかった。むしろ不便だった。それでも、あの紫色の相棒が放っていた輝きは、今も私の記憶の片隅で、未来を照らし続けている。


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