2010年4月1日、日本の携帯が「決定打」を打った日。初代Xperia SO-01B回想録
1. スマートフォンの夜明けと、アーリーアダプターの孤独
2010年、春。それは「ガラケーの終焉」と「スマートフォンの夜明け」が交差する、奇妙な熱を帯びた季節でした。
当時、私は毎晩夜勤をこなすような変則的で過酷な生活を送っていました。すり減るような日々の中で、唯一の心の支えは「新しいデバイスを追いかけること」。シャープのインターネットマシン「SH-04A」という、ガラケーの限界に挑んだ機種を使いながらも、私の心は「外でもインターネットを存分に浴びたい」という渇望で一杯でした。
そんな時、ソニー・エリクソン(当時)から放たれたのが、初代Xperia「SO-01B」でした。
2. iPhoneという「正論」に抗った、頑固な選択
職場の同僚たちは、スティーブ・ジョブズが生み出したiPhoneの凄さを口々に語り、「絶対に買ったほうがいい」と私に勧めました。しかし、私は頑固でした。
「ソニーのAndroidでも同じことができる。だからiPhoneなんて要らないよ」
実機に触れさえすれば、その完成度の差に気づいたかもしれません。けれど当時の私は、正社員としてのプライドか、あるいはソニーへの盲目的な期待か、iPhoneを否定することで自分の選択を正当化していました。ブラックな労働環境で戦う私にとって、ソニーが提示した「本気」のハードウェアに、救いのような未来を見ていたのだと思います。
3. 「何もできない」デバイスと、もがいていた自分
搭載されていたOSはAndroid 1.6。今思えば、できることは限られていました。 目玉機能だった独自UI「Mediascape」は、確かに写真や音楽を美しく並べてくれましたが、それ以上の魔法が起きるわけではありません。
対人関係に悩み、心身ともに追い詰められていた当時の私は、この「出来の悪い、けれど愛おしいデバイス」をなんとか戦力にしようと必死でした。これを使いこなせば、今の苦しい仕事が少しでも楽になるのではないか。そんな甘い夢を、小さな画面に投影していたのです。
しかし、現実は非情でした。その後、私は休職を余儀なくされ、Xperiaと共に描いた夢は一度、潰えたかのように思えました。
4. 今のAndroidとの「絶望的な差」が教えるもの
今のスマートフォン――例えば私が使っている最新のAndroid端末――と比べれば、初代Xperiaは絶望的なほど不自由でした。 画面を二本の指で広げる「マルチタッチ」にすら対応しておらず、バッテリーは一日持てば奇跡。結局、私は一年ほどでドコモを解約することになります。
「あの時iPhoneにしていれば、職場でももっと上手く立ち回れただろうか」 そんな後悔がよぎることもあります。けれど、あの不格好で未完成なAndroidに夢を託した時間は、決して無駄ではありませんでした。
5. 不自由だったからこそ、愛おしかった
2010年のあの日、初代Xperiaの真っ黒な画面に映っていたのは、単なるアプリのアイコンではなく、紛れもない「未来」でした。
今のスマホは、当時とは比べものにならないほど高性能で、サクサクと動きます。けれど、あの時の「自分の手で未来を手なずけようとしたワクワク感」は、どれだけスペックが上がっても色褪せることはありません。
初代Xperiaは確かに「しょぼかった」。けれど、あの不自由な一台と格闘した日々がなければ、今の私のデジタルライフ、そして今の自分自身も存在していなかったでしょう。


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